現代都市政策研究会2023年度妻籠宿合宿感想
現代都市政策研究会 妻籠、馬籠宿合宿 感想
M. O.
1 宿場町の保存運動に立ち上がる
かつての役場、警察署の建物であった「妻籠を愛する会」の事務所で、理事長の藤原義則さんからお話をうかがった。妻籠宿の保存運動は、昭和43(1968)からはじまりすでに50年を超えている。「かつての宿場町は、宿場の役割を失い、限界集落となっていた」と藤原さんはおっしゃる。保存活動は、当時の片山町長の選挙公約、そして、町の職員であった小林俊彦氏の尽力によるもので、最初は、必ずしも地域住民の皆が賛成したわけではない。小林さんは、佐久の出身で地元出身ではなかった。「よそ者、若者、バカ者」がまちづくりの重要な担い手であるといわれるが、妻籠宿の場合も、町役場職員として、さらに、愛する会の理事長として活躍してきた小林さんの尽力、さらに、その呼びかけに応じて長らく活動を継続してきた地域の住民の努力の賜物であると感じた。昭和30年代から40年代の高度成長期の中で、伝統的街並みの保存を決断し、全国の街並み保存運動のトップリーダーとなり、伝統的建造物群保存制度のきっかけとなり全国にも影響を与え、また、現在は、多くの外国人のインバウンドでにぎわう妻籠宿について、その先見性、決断力、そして自分の所有不動産を維持管理し続ける住民の活動の存在こそ街並み景観が残されている理由であると考えた。
妻籠宿保存地区は、単に、古い建物を保存するだけではなく、その街並み、馬籠峠までの中山道、さらに、点在する在郷景観、それを取り巻く自然景観も含めて面積約1,245haを丸ごと保存の対象としている点で特筆される。これも、当時のリーダーが自然景観も含めて保全するという働かけで実現したとのことである。この決断が中山道を歩く多くの外国人を呼び込んでいることにもつながる。
昭和50年には文化財保護法が改正され、伝統的建造物群保存地区制度が発足したが、妻籠の運動がそのきっかけとなった。南木曽町は、昭和48年8月に「妻籠宿保存条例」を制定している。そして、昭和51年4月の伝建地区指定の後、「妻籠宿保存地区保存条例」として改正し、その後、何度か改正を経て現在に至っている。法制度的には、文化財保護法の規定に基づき、地区の決定、現状変更の規制などの詳細を条例で定めている形だが、さらに、重要な点は、施行規則において、現状変更の許可のための書類の提出は、「妻籠を愛する会を経由して提出しなければならない」と定めている点である。法令の運用に、住民組織が関与できる仕組みを装置化している点が、政策法務的にもうまい仕組みである。
妻籠ではもともと、法律や条例が制定される以前から、住民自身が保全のルールを定め、さらに、そのルールを守っていくことを住民自身が話し合い、合意しながら守ってきた歴史がある。
条例制定に先立って、昭和46年7月25日には、「妻籠宿を守る住民憲章」が宣言されている。この住民憲章は、妻籠宿がマスコミ報道により全国に紹介され一躍有名になり、外部資本がこの地に入ってくる気配に対して、「文化的価値」のある妻籠宿を地区住民全員で守るために、起草委員会が起草し、委員会を開き、各集落での検討を加え、地区住民の総意に基づくものであることを確認し宣言されたとのことである。
その内容は、「保存優先の原則」として、妻籠宿と旧中山道沿いの観光資源(建物・屋敷・農耕地・山林等)について「売らない」「貸さない」「こわさない」の三原則を貫くことがうたわれている。また、「外部資本が侵入すれば、自然環境や文化財の観光的利用による収益も地元に還元されることなく、外部へ流出してしまうだろう」と述べている。具体的には、「地域住民が自ら守るために」、「初心忘れるべからず」ということで、所有者の変更や指定物件の現状変更や復旧は、統制委員会に事前に申し出ること、さらに、風致の保全、環境整備、防火体制、防犯体制、交通安全などのついての決まりを定めている。条例上の手続にあたっては、統制委員会が審議し、教育委員会に内申する仕組みとなっている。
これらは、文化財保護法や条例では規制をすることはできず、住民自らが宣言する「住民憲章」の形をとることで可能となる仕組みである。このルールはいまだに妻籠宿の中で生きており、実効的に運用されている。いただいた50周年記念誌の記述では、当時も反対者がいるとのことであるが、粘り強く説得することによって運用されているようである。また、藤原理事長さんの話でも、若い次世代がルールと異なる商売をしようとする時には、「親の世代がルールを守り、街並みを保存し、観光客が訪れる妻籠宿を守ってきたから今の君がある」と言って説得するとのことであった。また、外部からの業者に参入も歓迎していない、また、外部の人が不動産を所有することも歓迎していないということある。閉鎖的にも思われるが、地元住民の理解と合意の存在が、今の街並み保存を実現していることからも、妻籠ならではの特徴的な事例であると感じた。
地元住民の力でルールを守り、街並みを保存するということであるが、各世帯の事情で空き家とせざるを得ない住戸が出てくることが想像できる。現在は、20棟が空き家があり、居住をしていないとのことである。
妻籠宿を愛する会は、法人組織としては、公益財団法人であり、様々な事業を展開している。定款によれば、妻籠宿保存のための調査・研究・指導・援助、建造物の保存及び周辺の景観をまもるために必要な土地・建物等の買い上げとその維持管理に関する事業、地区内において公開に必要とする事業の受託及び支援事業などが掲げられている。
実際に、トラスト地は45筆、空き家が6棟で、そのうち3棟を愛する会で運営しているとのことである。我々も「おもて」という食堂でそばを食べたが、これも、愛する会の所有・運営であった。このように、地元住民には、外部資本には、不動産を売らない・貸さないという厳しいルールを取り決める一方で、愛する会が空き家を所有し運営するということで地域経済を回し観光地としての街並みやインフラを運営していくというまさに「まちづくり会社」の取組を実践している先駆事例であるとも感じた。この妻籠宿の「街並み保存のルールと観光地としての持続可能な地域経営」をモデル化し、他の地域における先駆事例としていくことが可能でなないかと感じた。
翌日は、妻籠宿から馬籠宿まで、中山道の歴史的な街道をぜひ歩いてみたいと思っていたのと、前日に、多くの外国人が歩く「サムライルート」のお話や「一石栃立場茶屋」の再生のお話を伺ったことから、私ひとりであったが、約8キロをハイキングした。道筋は、歴史ある中山道の街道であり、ところどころ石畳が敷かれ、また、信濃路自然遊歩道としてトイレなどの整備もされており、雨具や水筒などを持てば家族でも気軽に歩けるコースであった。
特に、「サムライルート」として、インバウンドの外国人に人気があり、江戸時代の街道、宿場を体感でき、日本の歴史・文化、豊かな自然環境にも親しむことができる人気のコースとなっている。特に、ヨーロッパ系の人々は歩くことが好きであり、事実、すれ違う人々の半数以上が外国人であった。
朝、8時過ぎに妻籠宿の松代屋旅館を出発し、9時半には、一石栃立場茶屋に到着をした。ここは、愛する会が譲り受け、運営している茶屋で、無料でお茶を飲み、昔の古民家を体験することができる場である。茶屋に入ると、藤原理事長が当番でおもてなしをされていた。私は、前日のお礼を述べ、記念誌を5冊いただき、お茶と梅酒をいただいた。イタリアからの外国人も休んでおり、ちょっとした国際交流の場であった。
妻籠宿が外国人のインバウンドの観光地として大成功しているが、その理由は、単に、歴史的な建築物や街並みを保存したことのみならず、観光土産を売ったり、食べ歩きの食品を売るようなどこでもある観光地化を抑制し、本物の文化や歴史を体感してもらうことを重視していることもあると考える。さらに、茶屋での無料のお茶のふるまいなど、地域の人々のおもてなしを感じさせる取組が旅する人をほっとさせることにもあると感じた。外国人のみならず、日本に暮らす我々も、ほっとできる安らぎの空間として存在していることを実感した。
馬籠峠を越えると、長野県から岐阜県に入り、南西には、恵那山を見渡せる開けた景色が広がるようになる。途中には、峠の集落があり、のどかな風景が広がる。島崎藤村の「夜明け前」の小説には、妻籠宿と馬籠宿の行き来が題材になっているが、まさに小説の舞台が繰り広げられる。馬籠宿は、尾根筋の坂道に形成された宿場町であり、妻籠と違って、観光客数が一気に増え、また、観光客相手のお店が増えることになる。妻籠から約2時間半歩いて、バスで移動をしてきた皆と合流することになる。 案内していただくのは、元中津川市役所の獣医さんで吉田さんという方で、妻籠の小林さんと経歴が一緒であることに驚く。まちづくりは、自治体職員、獣医さんが担うのかと思った。馬籠は、尾根上の街道沿いの宿場町で、明治28年と大正4年に火災により建物は消失し再建を繰り返しており、江戸の街並みが保存されているわけではないが、かつての宿場町の街並みが再現されている。吉田さんにお聞きしたところ、建物、街並みに特に、ルールが定められているわけではないが、それぞれの建築物は宿場町の景観に配慮して建築されていることがうかがえる。また、妻籠とは異なり、土産物屋や食べ物屋も観光客相手のしつらえとなっており、賑わいもみられる。島崎藤村の文学の舞台であったことから、記念館も建設され、小説の世界として多くの観光客を迎えていることがわかる。妻籠とは異なるが、インバウンドの観光客を迎えてにぎわっている。馬籠は、県境を越える合併として長野県から岐阜県中津川市へと編入されたが、中山道の街道筋としてかつても妻籠、馬籠との関係は深かったことから、今後も、二つの宿場町が連携して発展していくことが望まれると感じた。
今回の合宿では、室地さんに尽力いただき、妻籠を愛する会の藤原さん、さらに、歴史ガイドの松瀬さん、馬籠の吉田さんからお話を伺いながら街を歩くことで、妻籠、馬籠の歴史的な街並み保存について、より深く知ることができた。また、多くの外国人が訪れるインバウンド観光の実情を体感することができた。このようなスタディーツアーは、日本の歴史や文化を知り、まちづくりを学ぶことができとても有意義な観光であり、他の地域での取り組みの大いなる参考になるのではとも考えさせられた。
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