現代都市政策研究会2025年4月例会・まち歩き感想
まち歩き「成城をめぐる〜住宅地開発の歴史〜」に参加して
成城の街並みは、銀杏の街路樹や邸宅の生垣などが整えられ、つつじが真っ盛りであった。この街並みがつくりあげた第一人者は、成城学園の主事で後に玉川学園を創立する当時の主事、小原國芳である。1925年(大正13年)に成城学園が学園町として、校地のみならず、建設資金調達のため付近の土地2万坪を購入し宅地分譲を行ったことが宅地形成の始まりで、住宅地の街割りや街路、そして景観保全の憲章が定められることになる。
次の功労者は、成城に住んだ人びとである。今回は、旧猪俣邸と旧山田邸を訪ねた。旧猪俣邸は、1967年(昭和42年)に(財)労務行政研究所の理事長を務めた猪俣猛氏ご夫妻の邸宅として、建築家吉田五十八氏により建てられた武家屋敷風の趣がある数寄屋づくりである。旧山田邸は、1937年(昭和12年)に建築された楢崎定吉氏の住宅でその後、山田盛隆氏が購入し住まいとした洋風の住宅である。いずれも、世田谷区に寄付され、(一財)世田谷トラストまちづくりが管理運営し、一般公開がされている。これら邸宅以外にも、多くの住宅は、生垣や庭木を整えるなど、高級住宅地としての成城の街並み景観の形成に貢献をしている。
そして、現在においても重要な役割を果たしているのは、「(一財)世田谷トラストまちづくり」の存在である。この法人は、世田谷まちづくりセンターとせたがやトラスト協会が合併してできた法人であるが、1980年代のバブルの時代、バブル崩壊以降も、世田谷区の住民参加のまちづくりや緑地、文化財の保全に貢献をしてきた。現在においても、ボランティアの方の参画により世田谷の街並み保全やまちづくりに大いに貢献している様子を実感することができた。
今回のまち歩きの企画をしていただいた矢野さんに感謝するとともに、多くのボランティアの皆さんに感謝しつつ、最後は、おいしいお酒を飲みました。
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