現代都市政策研究会2019年度山梨県早川町合宿報告・感想


M.      O.



 今回の早川町合宿では、NPO法人日本上流文化圏研究所 (上流研)の専務理事・事務局長の若林一彦さんに11月2日、3日の二日間にわたって、早川町を案内してもらいました。

 上流研は、平成8年に策定された早川町の第4次総合計画に掲げられた理念「山村の暮らしに新しい価値を見出し、地域への誇りを取り戻す」を実現するために、当初は、町役場の一組織として「研究所」が設立されたものです。平成11年に任意団体として独立し、平成18年には、NPO法人化し、現在にいたっています。若林さんは、早川町の中学校の校長先生を退職された後、上流研の事務局長として活動されています。

 都市研一行6名は、早川町役場前で、若林さんと落ち合い、若林さんに運転をいただくワゴン車で、まずは、町が設置し、NPOが指定管理を受けるお蕎麦屋さん「そば処アルプス」でそば定食をいただき、腹ごしらえをしました。早川町は、まさにその名前のとおり、急流早川が町の中心を流れ、台風19号の影響で、土砂で濁った水が流れ、ところどころ土砂崩れもおこっている状況での視察となりました。

その後、中学校の廃校後、上流研の事務所がある交流センター研修室で若林さんのお話を聞きました。

早川町は、昭和の合併で、6ケ村が合併しできた町で、人口は約千人の日本一人口が少ない町で、36の集落が点在する山村です。平成8年の総合計画では、①「早川入り」=置かれた環境の中であるものを活かし、②「万能丸まんのうがん」=知恵や技術で工夫し自分たちで、③「ゆうげいし(結がえし)」=互いに協力しながらという山村における暮らしの知恵を活かすという理念を掲げました。研究所は、山村で暮らすことも幸福と考える人たちを増やしていくために、①山の暮らしの価値を伝える、②山の暮らしの担い手を育てる、③山の暮らしの課題を解決するというミッションをかかげ、ぶれずに、地道にとりくんできている姿を感じることができました。ミッションにしたがって、様々なプロジェクトを実現しており、山村留学の仕組みづくりや移住者の支援、そして、子どもたちの環境教育など、町と共に、研究所自らが実現していくということを旨としているとのことでした。

背景には、10期を勤める町長の強いリーダーシップもあるようです。また、町単独予算は限られているので、さまざまな国や県の予算を引き出しながらハード、ソフトの事業に上手にお金を使っている様子を感じ取ることができました。

また、平成の合併では、身延町などとの合併協議に参加するものの、合併しないことを選択したとのことでした。さまざまな施策展開は、自治体ならではの取り組みであると感じました。さらに、早川町では、これまでも、水害や雪害にあっていますが、その度に乗り越えてきた経験を持っており、行政と住民が結束をして命を守るというメッセージを町長は発しており、これも、自治体ならではの取り組みであると感じました。また、若林さんからは、身延町と合併した2町では、小学校・中学校の統廃合進み、コミュニティの核を失っているとのお話をいただきました。早川町では、家族ぐるみでの山村留学を行っており、また、移住者受け入れの取り組みにおいても、子どもたちの教育環境の充実度を誇っています。現在も、1中学校、2小学校を存続させており、児童数20名のきめ細かな教育を特徴としています。中学で、陸上競技全国3位の生徒や南部署管内の弁論大会で優勝する生徒がうまれるなど、元校長先生の若林さんはとても誇らしげでした。

この後、台風で閉館となっていた、雨畑硯の展示施設である「硯匠庵」を見学しました。台風19号で施設が危険な状態となったため、展示品である貴重な硯を移動させ閉館となっていましたが、その復旧作業を進める中で、館長の天野元さんからお話をお伺いすることとなりました。早川町は、フォッサマグナ帯に位置し、金山などの鉱山も多数存在した地域で、硯となる黒色粘板岩が産出され、700年前から全国一の硯生産地となってきました。かつては、100名以上の硯職人がいたという雨畑地区も、現在では、お一人だけとなってしまっています。展示施設は、後継者獲得を目指す目的もありますが、書道が下火になるなかでは後継者問題が最も深刻とのことでした。実際に硯の表面を顕微鏡で見させていただいたり、墨をすらせてもらいましたが、滑らかな石の表面ながら、すり味がとても良いことを実感しました。書道をたしなむ人にとっては、垂涎の硯ですが、残念ながら都市研メンバーにはおらず、だれも硯は購入しませんでした。この施設は、雨畑湖という日本軽金属が保有するダムの畔にあるのですが、この間の水害でダム湖は土砂で埋まり防災上も課題となっているという現場を目の当たりにすることができました。

その日の晩は、小学校の廃校跡を温泉宿泊施設に転用している町営の「光源の里温泉ヘルシー美里」に宿泊しました。夕食前には、この施設の所長で、この施設と野鳥公園の指定管理を受けている㈱生態計画研究所の大西信正さんからお話を伺いました。大西さんは、鹿の生態の研究者ですが、宮城県の金華山で研究を行いながら造船などの仕事にもつき、その後、星のリゾートで軽井沢において熊との共生のプログラムを提案実施しながらホテル経営も身につけ、現在に至るというご経歴です。生物調査や環境教育、地域振興のコンサルタントでありながら、各地の公園施設の管理運営も行うコンサルタント会社ですが、野鳥公園の設計にかかわった経緯から公園と温泉施設の指定管理者ともなっています。早川町では、前出の総合計画の中で、旧6ケ村ごとに拠点を設けるフィールドミュージアム構想を掲げ、施設整備を行ってきており、旧三里村の中学校が昭和60年に廃校となり、その木造校舎(昭和27年建築)を活用して宿泊施設となっています。野鳥公園も開設以降時間が経過する中で老朽化しており、公園と一体となった、自然体験のプロが営む校舎の宿としてコンセプトを固め運営しています。ミュージアム構想も、かつての町民ガイドが高齢化する中で、自然観察の若手人材がガイドにあたるという仕組みに変え、年間にわたって様々な自然観察プログラムを企画実施しおており、当日も、夜間のムササビ観察会が開かれていました。

宿の経営面においても、リピート率が3割を超えればよいとされる業界標準の中で、4割を超えるリピート率を達成しているということで、指定管理においても若干の利益がでているとのことでした。自然観察のガイドは、若い人材ですが、宿においても食事の調理・提供などの業務にもかかわっている様子を見ることができ、経営面においても様々な工夫をされていることがわかりました。大西さんは、星のリゾートの未充足理論ということで、BEニーズ(目的)、DOニーズ(行動)、HAVEニーズ(獲得)という3つのニーズを充足させる観点から企画を練るということで、環境教育臭さを出してはいけない場面、楽しさを出していく場面など、環境教育と観光のニーズをバランスをもって満たすことが大切と述べられていました。

さらに、地域との関係においても、耕作放棄地を活用した「生きものいっぱい農園」をNPO法人早川エコファームを設立して地元の人を巻き込みながら展開したり、集落の「味噌つくり」を復活させるイベントを企画するなど、自身は、外部人材であることを前提に、地元の人たちとの連携を大切にして事業実施していることが話されました。農園はかつては水田であったところが耕作放棄地となり、セイタカアワダチソウが繁茂する農地を無償で借り受け、都市住民が耕作したり自然観察したりする仕組みを作り上げ、確実に生きものの生息数が増加するともに、地域の高齢者が畑に出てくるきっかけをつくるなど、お客様にも、地元にも、ガイドにも、資源的にも4つの立場が満足する仕組みをつくっています。町長のリーダーシップとともに、外部人材をうまくとりいれて環境の保全や地域振興を行っていく一端をお聞きすることができました。

翌日は、再び、若林さんにガイドをいただき、早川の上流域まで案内をしてもらいました。以前、発電所の建設でにぎわっており、映画館やパチンコ屋まであったものの、現在は、空き家が多い新倉という集落を通過し、フォッサマグナの逆断層が露頭している新倉の断層を見学しました。地殻変動でかつての海底が隆起して南アルプスを形成しており、その結果、温泉が沸き、鉱山が集積していることにつながります。山村に古くから人々が暮らす原因には、こういった資源を求めて人々が生活をしていたことにあります。さらに上流域をめざしますが、最奥の奈良田の集落は、台風19号の被害で道路が寸断しており、途中で引き返すこととなりました。

その後、日蓮宗の信仰の山である七面山の麓にある赤沢の集落を見学しました。この地区は、身延山と七面山を結ぶ登山道の中間に位置し、講中宿として特徴的な木造家屋が残されており、平成6年には、「重要伝統的建造物保存地区」に指定されています。ここで、現地をご案内いただく望月さんと合流し(集落はすべて望月姓)街並みや家屋の様子を見学しました。斜面沿いに集落が形成されており、かつては、33戸のうち9軒の旅館があり、講中でにぎわったとのことです。現在は、信者団体は、バスで移動することとなり、かつての賑わいはなくなり、現在は、江戸屋という1軒の旅館と大阪屋という1軒のゲストハウスが営業をしています。宿の出入りに多くの旅人が一斉に草鞋、足袋の脱ぎ履きができるよう縁側付きの細長い土間玄関が特徴的です。現在も、居住されている家屋はありますが、空き家となってしまった家屋もあり、町が買い取り、休憩所としたり、カフェ・観光案内としたりして、多くの費用をつぎ込んで建築物の保全を図っていることがわかりました。休憩所となっている「喜久屋」は、2階へも上がることができ、雨戸と障子から構成される窓を開くと、窓が額縁となって、七面山の緑が絵画のように見える様を体感することができ、地域の風土・景観を生かした建築であることを理解することができました。また、急斜面ではありますが、地元の方々が、石畳の整備をはじめ、途中から町の事業として整備されたことから、とても歩きやすい路地となっています。昼食は、古民家をいかし地域の女性たちが経営している蕎麦屋でそば定食でおなか一杯になったあと、七面山の登山口の羽衣の滝を見学し、登山道を少し上り、2丁目にある宿坊で若い住職のお話をお伺いしました。
1泊2日の行程でしたが、室地さんには、事前の下見や打ち合わせもしていただき、上流研の若林さんには全面的にお世話になり、とても有意義な合宿を経験することができました。早川町は、人口そのものは減少し、過疎化が進むものの、山村留学や自然体験の施設やイベントの仕組みをつくり、子どもたちの教育や山村の暮らしを大切にまちづくりを進めていることが理解できました。そのことは、都会で暮らす者にとっても、大きな財産であり価値であり、それを大切にしていることはとてもすがすがしい気持ちにさせ、そのことが今後も行ってみたいと思わせることにつながっていると感じました。また、平成の合併政策に対する評価としても、合併を選択しなかった自治体は、政策や施策の創意工夫を自ら行い、魅力的な自治体づくりを進めていると感じました。上流研の若林さんもヘルシー美里の大西さんも継続的な交流を望んでおられます。現代都市政策研究会としても、私自身も都市農村交流の仕組みづくりなどにも取り組むことができればと思いました。

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